ベトナムの上下水道事業は、従来から、各省と中央直轄特別市の人民委員会の下に設置された国有企業により運営されています。ただし、上下水道を一体的に行う上下水道公社、水道専業の水道公社、下水道専業の排水公社など形態はさまざまです。
1976年の南北統一後、1986年から開始されたドイモイ(『刷新』の意)政策により、市場メカニズムの導入や国内市場の対外開放が行われてきました。社会主義あるいは共産主義国家の例にもれず、ベトナムでも、国有企業が経済のあらゆる分野で強い力をもっています。民営化や株式会社化を通じた国有企業の運営の効率化は、ドイモイ政策の開始以来現在にいたるまで、継続して大きな課題となっており、そのなかで上下水道関連の公社は、1990年代後半より順次株式会社化が進められています。ただし、国の持株比率はいずれの場合も51%以上を維持していて、公的なコントロールを残す形態になっています。
たとえば、ホーチミン市についてみると、水道事業はサイゴン水道公社(SAWACO)が、下水道事業は都市排水公社(UDC)がそれぞれ実施しています。なお、UDCは、市当局(人民委員会)から既存の下水道施設の維持管理を委託されているだけで、下水道の整備は別途、市当局が事業主体となって実施しています。SAWACOの株式会社化は2005年に行われましたが、持株比率は政府筋が100%で、民間の持株比率はゼロとなっています。また、UDCの株式会社化は2009年で、やはり政府筋が株式の大半を保有しています。
なお、SAWACOはわが国の水道事業体ともつながりがあり、2009年8月には横浜市水道局との間で、同年12月には大阪市水道局との間で、それぞれ技術交流に関する覚書を締結しています。ただし、これと前後してADB(アジア開発銀行)の融資のほか、米国(貿易開発庁:USTDA)からの無償援助やオランダ(オランダ大使館とヴィテンス・エヴィデス・インターナショナル(VEI)社)との技術協力協定も締結しています。各国に緩やかに競わせつつ、良い部分を取り入れようとしているあたりは、しなやかでありながらしたたかなベトナム流の交渉術といえるかもしれません。
ベトナムにおける上下水道整備に必要な資金や技術については、ADB(アジア開発銀行)やWB(世界銀行)など国際金融機関からの融資のほか、わが国のODA(有償資金援助や技術協力)も行われています。
ベトナム向け、わが国のここ15年ほどのODA実績のうち水道に関するものは、南部地域(ドンナイ省とバリア・ブンタウ省)の水道施設整備に係る円借款や、2007~2009年の専門家派遣による技術協力(中部地区水道事業人材育成プロジェクト)がありますが、件数・金額ともにそれほど多いわけではありません。これに対して下水道に関するものは、1995年から2期5回にわたるハノイ水環境改善事業にはじまり、近年では2008年からホーチミン市とフエ市で、2009年からハノイ市とハイフォン市で、それぞれ大型円借款が開始されていて、水道よりも下水道に重点をおく傾向にあるようです(表-1)。
表-1 ベトナムにおけるわが国の円借款実績(1995年以降、上下水道・衛生分野)
案件名 | 実施年 | 円借款額 (百万円) | 区分 | 摘要 |
ハノイ水環境改善事業 | 1995 |
6,406 |
下水 |
|
ハノイ水環境改善事業(2) | 1998 |
12,165 |
下水 |
|
ドンナイ/バリア・ブンタウ省上水道整備事業(1) | 1998 |
5,771 |
水道 |
工業団地への工業用水、工業団地周辺と新市街地への生活用水の供給 |
ホーチミン市水環境改善事業(1) | 2001 |
8,200 |
下水 |
市街地中心部の浸水防除、下水の収集処理 |
ホーチミン市水環境改善事業(2) | 2003 |
15,794 |
下水 |
|
ドンナイ/バリア・ブンタウ省上水道整備事業(2) | 2004 |
3,308 |
水道 |
|
ハイフォン都市環境改善事業(1) | 2005 |
1,517 |
下水 |
浸水防除、下水の収集処理、廃棄物処理システムの整備 |
第2期ホーチミン市水環境改善事業(1) | 2006 |
1,557 |
下水 |
|
第2期ハノイ水環境改善事業(1) | 2006 |
3,044 |
下水 |
浸水防除、汚水処理能力の向上 |
南部ビンズオン省水環境改善事業 | 2007 |
7,770 |
下水 |
下水の収集処理 |
第2期ホーチミン市水環境改善事業(2) | 2008 |
13,169 |
下水 |
|
フエ市水環境改善事業 | 2008 |
20,883 |
下水 |
浸水防除、下水の収集処理 |
第2期ハノイ水環境改善事業(2) | 2009 |
29,289 |
下水 |
|
ハイフォン都市環境改善事業(2) | 2009 |
21,306 |
下水 |
|
第2期ホーチミン市水環境改善事業(3) | 2010 |
4,327 |
下水 |
|
合計 | - |
154,506 |
- |
- |
2010年11月に「PPPによるパイロット投資事業に関する規則」(Regulation on Public-Private Partnership
Investment Piloting)が制定され、2011年1月から施行されました。この規則は、事業者の公募・選定手続き、金融機関によるステップインや保険などの契約のあり方について考え方を示したもので、わが国でいえばPFI法と同法に基づく基本方針(『民間資金等の活用による公共施設等の整備等に関する事業の実施に関する基本方針』)の内容に近いと考えてよいでしょう。「パイロット投資事業」の対象には水道施設も含まれています。
これまでにも実施されてきたPPP事業に一定の枠をはめることで、より広範囲な事業への適用が促進されるとともに、国内外のより多くの企業にとって事業への参加がしやすくなることが期待されるところです。
上下水道分野の建設需要に必要な資金を調達するため、特に水道で浄水場のBOT、BOO事業が増加しています。BOO事業による浄水場の建設・運営というと、末端ユーザーへの水道水の給水は従来どおり水道公社が実施するため、水道公社が民間の浄水場から水道水を購入するというイメージになります。
これまでに行われているBOT、BOO事業を表-2に整理しました。現在のところBOTが4事業(うち1事業は中止)、BOOが2事業となっています。また、2004年のトゥ・ドゥック第2浄水場BOO案件以降は、すべて国内企業グループが受注していることが目立つところです。
表-2 ベトナムにおける浄水場BOT、BOO事業
事業名 | 契約 | 期間 | 概要 | 事業者と構成員 |
---|
ビン・アン浄水場BOT(ホーチミン市) | 1998 | 20年 | ・100,000m3/日 ・事業費0.588億US$ | ・事業者:ビン・アンウォーター ・構成員:マレーシア企業グループ(IJC、サルコン、South-South) |
トゥ・ドゥック第2浄水場BOT(ホーチミン市) | 1997 | 25年 | ・300,000m3/日 ・事業費1.54億US$ ・2003年契約解除 | ・事業者:リヨネーズ・ベトナムウォーター ・構成員:仏スエズ、パイルコン・エンジニアリング(マレーシア) |
トゥ・ドゥック第2浄水場BOO(ホーチミン市) | 2004 | 無期限 | ・300,000m3/日 ・事業費0.80億US$(1.547兆VD) | ・事業者:BOOトゥ・ドゥックウォーター
・構成員:国内企業グループ(CII、WACO、REE Corp、CC1、HIFU、Thuduc House) ・EPC下請先:韓国・現代ロテム ・設計施工監理の下請先:米国・CDMインターナショナル |
カン・トー浄水場BOT | 2008 | 15年 | ・20,000m3/日 ・事業費1.12億US$(2.16兆VD) ・事業者:C.T.WACOウォーターサプライBOT | ・事業者:C.T.WACOウォーターサプライBOT ・構成員:国内企業グループ(WACOほか) |
ケン・ドン浄水場BOT | 2008 | 50年 | ・240,000m3/日 ・事業費0.52億US$(1.006兆VD) | ・事業者:ケン・ドンウォーターサプライ ・構成員:国内企業グループ(WACO、CII、HIFU) |
ドン・タム浄水場BOO | 2008 | 無期限 | ・90,000m3/日 ・事業費0.73億US$(1.412兆VD) | ・事業者:BOOドン・タムウォータープラント ・構成員:国内企業グループ(CIIほか) ・設計施工監理の下請先:オーストラリア・GHD社 |
浄水場のBOO事業としてはベトナムで初めての事例となったトゥ・ドゥック第2浄水場の案件について少し詳しくみてみましょう。
トゥ・ドゥック第2浄水場は、計画浄水能力300,000m3/日と大規模なもので、ホーチミン市の増大する水需要に対応すべく新設が計画されました。ドンナイ川の表流水を原水とし、浄水方法は凝集沈殿と急速ろ過によるオーソドックスなものです。
当初、1997年にBOT事業として事業者が募集され、フランス・スエズ社を中心とするグループが選定されましたが、資金調達をドル建てとするかベトナム・ドン建てとするかの調整がつかなかったことから、2003年に契約が解除されています。1997年にはじまり各国に影響が及んだアジア通貨危機により、フィリピン・マニラ首都圏(西地区)、アルゼンチン・ブエノスアイレス市など、スエズ社の国外PPP案件の採算性が悪化し、その対応に追われていた時期とちょうど重なっており、表面化した為替リスクに翻弄されたといってよいかもしれません。
さて、この契約解除に伴い、2004年にはBOT事業をBOO事業に替えて新たに事業者が募集され、国内企業6社で構成されるグループが選定されました。総事業費1.547兆ドン(1ドン=0.004円として約62億円)のうち、事業者側で0.5兆ドン(約20億円)を用意し、残額はドン建てでベトナム開発銀行からの融資を受けています。スエズ社グループのBOT事業では、資金調達は国外の金融機関からドル建てで借り入れることが予定されていたため、このBOO事業により為替変動リスクが回避されたといえるでしょう。
なお、事業者コンソーシアムが設立したSPC(特別目的会社)は「BOOトゥ・ドゥックウォーター」と称する会社で、設計施工は韓国のヒュンダイ・ロテムに、設計施工監理は米国のCDMインターナショナルに再委託しています。浄水場は、2005年12月のファイナンスクローズ(全ての事業契約とともに融資関連の諸契約が締結され、事業の遂行が可能になる時点)の後、約5年を経て2010年7月に供用を開始しました。
トゥ・ドゥック第2浄水場BOO事業では、設計施工を国外の専門企業に再委託しているものの、30万トン規模の浄水場の設計・建設・維持管理運営を資金調達を含めてまがりなりにも引き受けうる国内企業グループとはどのようなものなのでしょうか。出資企業のうち主だったもののプロフィールを概観してみましょう。
■WACO(Water and Environment Joint Stock Company:水環境株式会社)
上下水道・廃棄物処理分野のエンジニアリング・施工、投資、資機材販売の大手企業で、1985年に設立、2001年には株式会社化されています。資本金は800億ドン(約3.2億円)で、同社HPによれば、過去のわが国企業との連携例として、荏原製作所(パートナーを組成)、日本上下水道設計(WACO社のプロジェクトの設計施工監理を担当)が掲げられています。
■HIFU(HoChiMinh City Investment Fund for Urban Development:ホーチミン市都市開発投資基金)
政府資金を中心に運用を行う国有のインフラ投資会社で、ホーチミン市人民委員会の管轄下にあります。1996年に設立され、直接投資、融資、預託基金運用の3つを業務として行っています。2010年2月には、ホーチミン市ファイナンス・投資国有会社(HFIC)に改組されました。
■CII(HoChiMinh City Infrastructure Investment Joint Stock Company:ホーチミン市インフラ投資株式会社)
BT、BOT、BOO方式による都市インフラ、不動産の投資・開発を行う会社。2001年の設立以来、道路や橋梁、工業地区や住宅地区内のインフラ施設、浄水処理施設を手がけており、有料道路の料金徴収も行っています。代表的な実績には、ハノイ高速道(BOT事業)やフーミー橋(ホーチミン市内2区と7区を結ぶ道路橋、BOT事業)の建設プロジェクトがある。同社にはHIFU(HFIC)も出資しており、2006年にはホーチミン証券取引所(HoSE)に株式を上場しています。
■CC1(Construction Corporation No.1 Company Limited:第1建設公社)
ベトナム国建設省の外郭団体(国有企業)で、EPC、BT、BOT、BOOプロジェクトも手がけるゼネコンです。設立は1979年で、2010年に株式会社化されています。
■Thuduc House(Thuduc Housing Development Joint Stock Company:トゥ・ドゥック住宅開発株式会社)
1990年に設立された国有企業でしたが、2001年に株式会社化されています。資本金は約3,788億ドン(約15億円)。
こうしてみると、EPCや金融には多くの実績を有する国内企業があり事業にも参画していますが、浄水場の維持管理運営に長けた企業が入っていない点に気づきます。これまで国有企業によって運営されてきた水道事業の歴史を考えれば、非常時・緊急時対応を含めて、浄水場の維持管理運営に全面的に対応できる民間企業がベトナム国内にそう多くあるとは考えにくいところです。BOO事業会社から水道公社に維持管理運営の一部を再委託し、一緒に仕事をするなかで、国内でノウハウを蓄積していくという目論見かもしれません。
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